アメリカ本土やカナダから直行便が多数出ていることで、北米にお住まいの方々の旅行先として人気が高い島、マウイ島。マウイ島では2023年8月、西部の町「ラハイナ」が山火事によって甚大な被害を受けたことを、ご存じの方も多いと思います。日本からマウイ島への直行便は今のところありませんが、オアフ島ホノルルの空港からマウイ島カフルイ空港まで、所要時間は30分~50分程。オアフ島とはまた違った魅力を持つマウイ島をご紹介します。
二つの島がくっついた形をしているマウイ島。ハワイの島々の中では、ハワイ島に次いで2番目に大きい島で、人口は約15万人(オアフ島は約99万5000人、2020年米国国勢調査より)。最も人口が多い町は、空港のある地、カフルイとなっています。「全米ベストビーチ」に選出される、美しいビーチをいくつも持つ島で、11月から5月にかけて、マウイ島近海はクジラが多数見られるホエールウォッチング・シーズンとなります。
ハレアカラ山の様子 (Photo Credit: Hawaii Tourism Authority (HTA) / Taku Miyazawa)
マウイ島の東側を大きく占めているのが、標高3055mのハレアカラ山。「太陽の家」という意味を持ち、古代からハワイアンが聖地としてきた所で、山の裾野、海岸に至るまで、広く国立公園となっています。山頂で朝日を眺めるために、多くの方々がまだ暗い時間帯から登山を始めます。日の出前の満天の星空、雲海の上に現れる朝日は「神秘的」という言葉がピッタリ。標高の高い部分は、まるで火星の表面のような光景が広がり、裾野には滝や川がながれる熱帯雨林のようになっていて、絶滅危惧種を含め、貴重なハワイ固有種の植物や鳥などが見られます。大自然のすごさを体全体で実感できる場所です。
ハレアカラについての基本情報はこちら
日の出を見るための登山(午前3時~午前7時に入山)の場合は要予約(予約はこちらのサイトから)
ハナにつづく道 (Photo Credit: Hawaii Tourism Authority (HTA) / Tor Johnson))
ハレアカラ山の東、マウイ島の東端に位置する町「ハナ」は、他の地域から「隔離」されたようにアクセスが難しい場所であったことから、昔ながらのハワイの様子が残る貴重な場所です。ハワイ州最大となる、古代の神殿にあたる「ピイラニハレ・ヘイアウ」があり、また、カメハメハ大王の妃の一人、カアフマヌ女王の出身地でもあるという、歴史的にも重要な場所です。ハナと言えば、「ロード・トゥ・ハナ」と呼ばれるカフルイから伸びる道(ハナ・ハイウェイ、HI-360)が有名で、カーテンのひだのように連なる山肌に沿って84㎞に渡って伸びる道は、620のカーブと59本の橋からできています。2時間から4時間かけて、手つかずの大自然の中をゆっくりドライブ…。ハナの、のんびりした町の先には、黒砂のビーチが広がるなど、驚きもあわせ持つ場所です。
アップカントリーから見える景色(キヘイ、ワイレア方面) (Photo Credit: Hawaii Tourism Authority (HTA) / Max Wanger)
マウイ島内陸部、ハレアカラ山の西側の高地にあたる部分は「アップカントリー」と呼ばれ、クラ、マカワオという町があります。火山性の土壌を利用して、昔からハワイアンの主食になるタロイモやサツマイモの栽培が行われていた所で、現在も、玉ねぎ栽培をはじめ農業が盛んに行われ、涼しい気候を好むラベンダーの畑も広がります。また、牛の放牧も1800年代中頃から行われていたことで、マカワオにはカウボーイの文化が引き継がれ、アメリカの独立記念日である7月4日には、ロデオの大会も行われています。
マカワオの町の様子 (Photo Credit: Hawaii Tourism Authority (HTA) / Tor Johnson)
カフルイ空港の南、海沿いにある町「キヘイ」から、さらに南の町「ワイレア」にかけて多くのリゾートホテルが立ち並び、観光客の方々がバケーションを過ごしています。降雨量の少ないエリアのため、ビーチで過ごすには理想的な場所。ビーチからは、シュノーケリングのスポットとして有名なモロキニ島や、現在無人島となっているカホオラヴェ島、かつては大規模にパイナップル生産が行われていたラナイ島などの島々が見えます。「ビッグ・ビーチ」として知られるマケナ・ビーチは、マウイ島最大級のビーチで、幅91m、長さ約1㎞に渡って広がっています。
マケナ・ビーチ (Photo Credit: Hawaii Tourism Authority (HTA) / Tor Johnson)
マウイ島の西の端にある町「ラハイナ」。「灼熱の太陽」「残酷な太陽」という意味を持つラハイナという地名が、暑く乾燥したこの地の様子を物語っています。ラハイナは歴史的に特に重要な町で、ハワイの島々を統一することになるハワイ島出身のカメハメハが、ハワイ島からマウイ島に攻め込み勝利した後、ラハイナに住居を構え、また、大王の後継者である二人の息子、カメハメハ2世と3世は、ラハイナを王国の首都と定めました(1820年~1845年)。
1800年代に入り、クジラの脂を照明や工業で使うために捕鯨が盛んに行われるようになると、日本近海でクジラの漁を行うため、アメリカ本土から多数の捕鯨船が、食料や水などの補充のため、ハワイの港に寄港し、ラハイナの港は、捕鯨船で大変賑わっていた所でもあります。カメハメハ3世が1845年に首都をホノルルに移すまでの間、ラハイナはハワイ王国にとって、非常に大切な役割を果たしており、歴史的建造物が数多く保存されていた町です。
山火事がラハイナの町に燃え広がり、壊滅的な被害を受けました。復興には大変な時間がかかりますが、一日も早く、かつての賑わいが戻ることを願わずにはいられません。オアフ島において、ラハイナ港と同じように捕鯨船が集まっていたホノルル港にあるアロハタワーは、夜間、マウイ島のシンボルカラーであるピンク色にライトアップされ、復興を応援しています。
マウイ島のシンボルカラーでライトアップされた、ホノルル港のアロハタワー。 (Photo Credit: Hawaii Historic Tour LLC)